なにかやったら?

新潟に帰ってきて人に会うたびに「なにかやったら?」という言葉をもらう。
私は「なにか」って、なに?と問う、そこのところを詳しく教えてほしいのだけれどな。
自分でも「なにか」が分かっていないから、「なにか」ができないんだと思っていた。

なにかこうしたいっていう芯になるもの、自分の軸っていうか、信条はあるの?
綿あめだってただふわふわしているだけだけど、細くても針金みたいな棒があれば、そこにまとわってくるでしょ。

その問いには答えられる。

私は、人と出会って、話をして、湧いてきた悩みや問題、希望や欲求に、私がやりたいと楽しいと感じたら、すすんで「なにか」するだろう。
企業や団体などのおおきいものが相手ではなく、近所に住む人、友人などが気になる。
その先に、相手の笑顔が見れるなら、その相手に集まる人達の笑顔が見れるなら、それをめざす。私がいままで得意としてきた企画運営広報のチカラを使って、笑顔をめざす。

人は笑うとき、いろいろなことを忘れて、ただ楽しいから笑う。
ひとりの人をずーっと笑わせるのではなく、短時間でいい瞬間でいい。
ただその楽しい瞬間を、大勢の人に届けられたらいい。私はよくばりだな。

あらためて「なにか」を考える良い機会をもらった。

ああだから私は、お節介焼きなのだな。

最近、私の隣りにいる人の笑顔が増えて、すこし嬉しかったりする。