地域連携コーディネーター養成スクール2

今日の講師は東京大学大学院 牧野篤教授。
前日魚沼会場での講演を終え、翌日の新潟市、オンラインではなく現場に来ての講演でした。
前回はサテライト会場だったのですが、今回の私、席がホールです!ラッキー!
と思ったのもつかの間、空調悪く、非常に暑い空間だったのが残念です。

先生のお話は、コミュニティコーディネーターの山崎亮さん寄りのお話だったので、私の好物!ということで楽しく聞くことができました。
お話の中にもチラっと出てきました「アウトプットする前提で、インプットする」、ということで、アウトプット!

「みんな違ってみんないい」「世界に一つだけの花」
この文から、個性を強要される、と捉える人達がいる。
いいと決めるのは誰なのか?結局、個性があるということは序列を作ることではないのか?

「いい」って言葉は、日本語の解釈が難しい言葉のひとつだと思う。
「良い」なのか「いらない」なのか「受容」なのか。
私は「受容」と捉えて伝えても、相手が「受容」でなく「差別」と受け取ったとき、私の言葉は「差別」に変わる。・・・むずかしいね。

プログラミングの授業は、IT分野を学習し育てるものではなく、
コミュニケーション能力、感性、自己肯定感、やる気を育てるものである。

チコちゃんでも言っていた、数学は論理的な思考を身につけるため、と同じように、学校の教育にはいろいろな目標を内包している。ただそれが、子供にも親にも誰にも伝わらないのは問題だと思う。数式を暗記しているだけの教育で、子供は育つのだろうか。

学習にはARTが必要である。ARTは芸術や感性や哲学である。
そのため5教科以外、体育・美術・音楽・技術家庭科が大事である。

知識を教え込む場ではなく、一緒に探求し、学校では学ぶ力をつける。
学校から地域に出て学習する。
学校のものを地域に出していく、学校を地域に開く。

社会教育とは、人の繋がりであり、地域教育である。
はじめから目的はない、目的は作られていくのだ。(anticipation-action-reflection)

子供が死なない環境であるということが、少子化をすすめている。
高齢者と子供で国の支給格差がある。
高齢者だけ手厚い対応をするのではなく、全世代で持続可能な社会を作る。

親の背中を見て育てとは言えない。
AIの分野が発達すれば、子供の半分以上が、今はない職業に就くと言われているからだ。
しかし、AIにできないことがある。
文章を読み、行間を読んで、対話して、判断すること。
価値判断をすること。価値を想像すること。

認知能力(理解、判断、論理などの知的機能のこと)が大事。

今は家庭のカタチが様々なので、家庭を重視しない。世代間交流によって関係性を多様化し「小さな社会」を作ることが大事。活動の場はひとつでなくていい。「小さな社会」はひとつでなくていい。

「その人の存在を受け入れてくれる環境があること」
誰と運動するか、誰と食べるか、誰と社会的関係を得るか、関係性が大事。

好きの押し売りではなく、お互いを尊重する。
ネットワークは結ばない、ゆるやかに繋がる。
頼りあえる関係を作る。

これは、私がとらえた言葉たちの、私なりのアウトプットです。
他に人は、違うとらえ方をしていると思うので、それについて対話したいな。

そういえば2016年2月に松本市で公民館研修集会に参加しました。信州大学井上信宏教授(主に地域包括ケアと地域社会や高齢者介護システムを専門としている)の話がおもしろかったのを思い出しました。
あのとき、介護施設運営側(私)として、井上教授の学生たちと一緒に地域に入り、高齢者の困りごとを聞いて解決するプログラムに一緒に参加したかったなあ。引越しあったからな・・・。

同じことをするのに、ひとりで立ち回るには無謀すぎる。しかしひとりでも始められる方法・・・ないのかなあ。←すでになにかのもとで、誰かとともに動くことを諦めてるか?苦笑